2010年12月24日金曜日

店長、何か持ってるかも?

12月24日(金)。晴れのちくもり。クリスマスイブ。今日は学園祭警備(11月13日)の代休。午前中、22日、23日、二日分のんびりブログを更新。遅い朝風呂(午前風呂)に入ってから、大学へ。いろいろあるので、休日気分でスタート、仕事モードへ移行。
お昼時だったので、東久留米駅北口のラーメン屋へ。長崎のトビウオ(あご)をだしに使ったラーメン。

竜馬とおりょうセットを注文(大河ドラマの最終回見逃しちゃいましたよ~とか言いつつ。選挙速報流れたらしいですねーとか言いつつ)。極細めんに長崎ごま豆腐つき。豆腐がもちもちしていておいしかった。日本のfood diversityは高いと思う。しかも、いろんな食感の食べ物があり。
日本人の探究心は島国ゆえか?遠い昔大陸から何かを求め(何かに追われ?)渡ってきて、南北に長い地形に侵入。朝鮮半島、沖縄ルート、樺太ルート、大きくく3ルートで?それが列島内で融合orある程度隔離されたまま定着?かつ、海と山が近い地形。自然に手に入るものを食おうとしたら、food diversityが高くなるのもうなずける。わざわざ海を越え渡ってきた人たちである。その後、王朝が成立した後は、意識的に大陸の文化を導入したのだろうし。
日本の気候風土と遺伝子プール(複数?の創始者集団、その後の融合)が「日本人」を形成した、と私は考える。日本人の特質を保存したいなら、「日本人」が自然選択を受け続けてきた環境、気候風土の保全が大事とつねづね思う。自然の成り行きでの変化はそれとして。それと、大陸文化の影響、仏教だったり儒教だったり論語だったり、が重要なファクターであっただろう。竜馬のあたりから最近は西洋文明であろうが、特に。
自然の人為的な改変は極力避けなければ、と思う。一度壊すと、復元するのは大変である。
ベトナムの人のメンタリティーが日本人と似ている、という人が多い(私もそう思う)が、ベトナムも南北に長く、山と海が近く、インドシナ半島で、大陸の袋小路、エンドポイント的な場所である。人を思いやる、普段はのんびりしているが、いざとなると忍耐強く、信念を実行にうつす。今は変化してしまったかもしれませんが、、、(日本では、、、)

店を出て大学へ。秋津駅でスティングの看板。1月にあるそう。妻の仕分けは通りそうもない。
大学に着きメールを開いたら、ミッションだらけ。ひたすら解決をめざす。立ち上げ期の教養科目にいろいろトラブルが。教務のT村さんに最新の時間割表資料もらった後、車を借りに会計に寄ったら、たまたまかN木先生(TATⅡ遺伝学代表)に遭遇し、臨時会議?ほとんど解決、後はN木科目代表、よろしくね。その後MH先生(ラオウ)から携帯に着信(私が留守電入れといた件)。科目長と話をして、TATⅡ生物学実験の予算の件もほとんど解決。わずか10分程度でとりあえずのミッション終了。
なんというタイミング、サッカー日本代表・本田圭佑ではないが、「店長、なにか持ってるかも?」
農学部の公用車、おんぼろカルディナを借り、専修大学生田キャンパスへ。M子先生(播磨灘)が20万円分試薬等買ってくれたものを引き取りに。道が混んでいて遅れて到着。タックその他消耗品にギルソンのマイクロ・ピペッター、おまけ?でくれました。なんという太っ腹、さすが江戸っ子。
大学に戻り、車を返し、研究室で残りの雑用をかたづけていたら、娘小3から携帯に着信。「パパ―、お酒飲んでない?早く帰ってこい!心配したぞ!」とのこと(父親が年頃の娘に言うセリフみたい?)。ハハ―とお詫びして帰宅(なんだかんだ10時)。娘たちとじゃれあい、ケーキを食べ、最高金賞ビール、澤の井の熱燗を飲み、寝ました。サンタさん来るといいね、娘たち。

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