2010年12月11日土曜日

ほぼ季刊→ほぼ日刊化?

USAのO森先生、お元気ですか?最近、ほぼ日刊になってきましたありんこ日誌。この調子でケイゾクしたいと思います。http://pimo.txt-nifty.com/blog/2008/01/keizoku_1999tv__d53d.html
そもそも、「日誌」と標榜しているのに、それでは「季誌」ではないか、毎日更新しないと「日誌」とは言えないのではないか?これまで「ありんこ日誌」は看板に偽りありだったとのご批判もあるかもしれません。思うに、その日その日にあったことを書きとどめれば毎日でなくても日誌であって、完全に日単位でなくてもいいのかと。先人が書いた「日記」、「日誌」の類、例えば紀貫之の「土佐日記」、毎日の出来事が書いてあるわけではないですよね?時折々の心象風景を日記の形を借りてまとめたのかと。http://www.aozora.gr.jp/cards/000155/files/832_16016.html「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の、、、、」

このブログも発端は、「ちまたで流行っているブログといふものを、Jimmyもしてみんとてするなり」でした。

以下、有名な「日記」:
「更級日記」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B4%E7%B4%9A%E6%97%A5%E8%A8%98 「菅原孝標女平安時代中ごろに書いた日記。作者13歳の寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間の回想録。全1巻。」
「蜻蛉日記」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%BB%E8%9B%89%E6%97%A5%E8%A8%98 「平安時代の女流日記。作者は藤原道綱母天暦8年(954年) - 天延2年(974年)のできごとが書かれ、成立は天延3年(975年)ごろか。上中下の三巻よりなる。題名は日記のなかの文「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」より。」

学生さんにはレポート書く時するな、といっている、「コピペ」なるものをそこはかとなくしてしまいました。「引用」ということでお許しください。どこかの先生がほとんど引用で一冊本書いて問題になったそうですが(ちゃんと「引用」と分かるように書いてあるので悪気はないそうです。TBSラジオ、森本武朗スタンバイ、スタンバイ・ブックナビでやってました)。

【ここから本題です】

12月10日金曜日、朝9時頃研究室につくと、すでにBramさんがいて、共用PCで午後G大学である環境教育のセミナーの準備をされてました。昨日泊まったらしいT田くんもいて、お世話してくれていて、助かりました。 会長と相談し、今晩は研究室(ゼミ室)で鍋パーティーと伝えました。

2限3限の講義準備を、どっとどどどうどどどうどどどう(風の叉三郎よりhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/462_15405.html)、と片づけ、プリントを人数分コピーしました。この手の機械の進歩には驚かされます。ほっといても人数分閉じてくれるし、USBメモに―に保存もできるし。プリンターいらないですね、コストはどうか別にして。
S石君と実験の相談などしていたら、昼ご飯を食べ逃し、3限目へ。その後、講義の打ち合わせがあったのですが、非常勤のM瀬さん(自称IQ300。昔200と言ってたと思うんですけど?300は仮面ライダー1号、本郷剛と同じですねhttp://getnews.jp/archives/88058;そういえば、3限の講義でIQの遺伝率を話題にしたのでした。昼飯食った学生さんが眠くならないよう)が校内迷子になっているらしく、携帯で誘導していたら、生協横から手を振りながら歩いてきました。新カリTATⅡ生態学第3セクションの1・2回目、進化生態学のところなんですが、同じスライドで講義する植生のM野先生、M林先生と、作成者のM瀬さんの説明を聞き、盛り上がりました。農学部ですが理学部的な内容、でも、関心を持ってくれる学生さんの中から、立派な研究者が輩出されることと期待します。本郷猛も研究者。ショッカーに改造される前は(後も?)。

なんだかんだたっぷり2時間打ち合わせし、研究室にもどり、雑用をかたづけているところに会長とBramさん登場。会長は車を本部の停めてはいけないところに停めていたらしく、移動して下さい!の貼り紙持ってきました。さすが会長、いつもながらエピソード作りに無意識化で余念がありません。

ショウ先生と晴見町商店街に鍋の買い出しに。ちゃんこ鍋のもとの袋裏のレシピを参考に、小島精肉店で鳥肉、ウインナー、ミートボール、八百屋で白菜、春菊、長ネギ、しいたけ、しめじ、魚屋で鯛のなべ物用頭と骨、鱈、漬物、豆腐、ブリ大根、を調達し、ショウ先生は先に戻り調理開始、Jimmyはマインマートにお酒を買いに、別れました。Bramさんはビール好きのようなので、エビス各種http://www.sapporobeer.jp/yebisu/、プレミアムモルツhttp://www.suntory.co.jp/beer/premium/、ギネス、を買いました。足りない時用に金麦も。鍋も完成、乾杯をしました。Bramさんは箸の使い方にも慣れた様子。会長との昔話にも花が咲き。ゼミ室オーナー?のN出くんが帰ってきて、朝Bramさんが来たら寝ていた話に。Bramさんは昔、夜中は閉鎖される研究室に天窓から入って実験しし、管理者に叱られたそう。モチ―ベンションが高いもんで、と言い訳したそう。

ところで、会長の前にいつも間にかピスタチオの残骸が山のよう。ほとんど一人で一袋食べたよう。ここにも稀代のピスタチスタ、発見しました。知る限り、T大下田臨海に一人、うちの研究室の時かけにチクシちゃんを提供した学生1人。全て男性。カリウム不足か?http://www.california-pistachio.com/nutrition/ 女性のピスタチスタ、まだ見てません。有意に男性に偏ってないか、今後検証するテーマのひとつになりました。偏っているとしたら、なぜなのか?男性が不足しやすい栄養素を多く含んでおり、経験からピスタチオ食べると体調良くなる経験を積んだ結果、ピスタチスタとなるのか?

鍋も佳境に入った頃、研究打ち合わせをしていたM瀬さん、N島さん、F原さんが到着。すでに梶研で飲んでいたらしいですが、続きをしました。BramさんとIQ300のM瀬さんは意気投合してました。11時前に片付けを開始、武蔵野荘にみんなでBramさんを送りました。会長のラウムhttp://toyota.jp/raum/に載せてもらい、M瀬さんを国分寺駅で、ショウ先生を一橋学園駅で、Jimmyを東久留米駅をおろし、会長は颯爽と去って行かれました。最後はキメる会長(73歳?)、さすがです。居眠り運転には気をつけてください。私と同じ、睡眠時無呼吸症(いびきがすごい、間違いない) なのに、医者の診断を受けてないので、機械をつけて寝てませんし。

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